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大阪地方裁判所 昭和24年(行)105号 判決

原告 大念仏寺 外一名

被告 大阪府知事

第三者参加人 日本国有鉄道

訴訟代理人 道工隆三 外四名

主文

原告大念仏寺の関係で、被告が別紙第一物件表記載の土地についてなした買収の時期を昭和二四年七月二日とする買収処分を取り消す。

原告亡平岡栄吉訴訟承継人の関係で、同原告の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告大念仏寺と被告との間において生じたものは被告の負担とし、原告亡平岡栄吉訴訟承継人と被告との間において生じたものは同原告の負担とし、原告大念仏寺と第三者参加人との間において参加申立てによつて生じたものは第三者参加人の負担とする。

事実

第一、申立て

(原告大念仏寺)

主文一、三項同旨

(原告亡平岡栄吉訴訟承継人)

一、守口市農地委員会が別紙第二物件表記載の土地(以下第二土地という)につき同二四年一月三一日に定めた買収計画を取り消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、請求の原因

一、(原告大念仏寺)

1、原告大念仏寺は、別紙第一物件表の土地(以下第一土地という)を所有していた。訴外大阪市東住吉区農地委員会(以下東住吉農地委という)は、同二四年五月六日右土地について自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条五項四号にもとづき買収の時期を同年七月二日とする買収計画を定めた。

被告は、これにもとづき同年八月一〇日同原告に買収令書を交付して右土地の買収処分をした。

2、しかし右買収計画には、次に付加するもののほか別紙「原告大念仏寺主張の違法原因」記載のとおりの違法がある。

(自創法五条五号該当地であることについて)

第一土地の周囲部は、ことごとく第三者参加人において関西線百済駅新設用地に供するため所有する土地で、すでにその計画および予算も確定し、国家運輸政策上極めて重要性を有する土地である。

しかも第一土地は、百済駅新設用地の中に存在するものであり、このような状況の下にある土地は耕作に供するよりも前記の如く駅の新設用地に供する方がはるかに利益である。国家社会的観点から検討すると、農地買収より除外すべき性質のものである。

3、よつて右買収処分の取消しを求める。

4、(被告らの取得時効の主張に対して)

本件買収処分は前記のとおり違法のかしがあり当然無効である。

従つて、同原告は第一土地の所有権を失つていなく、訴外田中作太郎は売渡しを受けてもこれが所有権を取得できないのに、同人名義に所有権移転登記がなされた。同原告は、同三三年三月一日同訴外人を被告として所有権にもとづき右登記抹消登記手続等請求の訴えを当庁に提起した(同年(行)一三号事件)。右訴訟は現に係属しているのでこれによつて同訴外人の取得時効は中断せられている。

二、(原告亡平岡栄吉訴訟承継人)

1、平岡栄吉は、第二土地を所有していた。訴外守口市農地委員会(以下守口市農地委という)は、同二四年一月三一日、第二土地につき自創法三条一項一号にもとづく買収計画を定めた。よつて同人は異議を申し立てて却下されたので、被告の前身である大阪府農地委員会に訴願をしたところ同年三月三一日に訴願棄却の裁決を受け、同年五月二八日その裁決書の送達を受けた。

2、しかし右買収計画は、次のとおりの違法がある。

(一) 第二土地は農地でも小作地でもない。

第二土地は、自創法五条四号にも定められている都市計画法一二条一項の規定にもとづく宅地造成を目的とする土地区画整理組合に準ずる守口市東光園耕地整理組合の地区内にある。右組合は関係官庁の指導監督の下に都市計画事業の基本施設を基盤とし、道路公園広場その他の公共施設の新設または拡張、土地の分合整地、上下水道ガス電燈などの文化的設備の整備充実に努めすでに組合事業も買収計画の数年前に完了し、土地の仮換地手続を終り、地区内に漸次住宅工場などあいついで建設されつゝある実状であつた。

ことに第二土地は、周囲部がいずれも住宅街を形成し、その中央部に存在する猫の額の大きさの土地で、すでに買収計画の数年前に住宅建設予定のところ、戦時中建築抑制のため、やむなく待機中であつた。このように宅地としての基本的条件を具備する土地で、農地としての性格を喪失しており、これを農地と見ることはできない。

平岡栄吉は、何人に対しても第二土地を賃貸しまたは使用を許したことがない。使用している者があるとすればそれは不法占拠をしているものである。

従つて小作地ではない。

(二) 自創法五条五号による買収除外指定をすべきである。

第二土地は、近い将来その使用目的を宅地に変更しなければならない必然的環境にあるから、同条号によつて買収計画より除外の承認をなさなければならないものである。

3、よつて、右買収計画の取消しを求める。

第三、答弁

(第一土地関係)

一、請求の原因の一の1、の事実は買収令書交付の日時の点を除いて認める。買収令書は同二四年五月二五日に交付した。同2、の事実のうち第一土地が大阪市平野土地区画整理組合の地区内にあり、原告大念仏寺主張のとおり仮換地の指定がなされていることは認める。

二、(本案前)

東住吉区農地委は同二四年七月二日自創法一六条の規定によつて本件農地の耕作者であつた訴外田中作太郎に対し第一土地を売り渡す計画を定め、被告は同農地委員会を通じて田中作太郎に対して同年一二月一二日売渡通知書を交付して売渡処分をした。田中作太郎は右売渡し当時第一土地を占有耕作していたものであつて、右売渡通知書交付とともに所有の意思をもつて、平穏公然善意無過失に第一土地を占有することとなり、右占有は、第一土地を同三七年一月一九日第三者参加人が田中作太郎から買い受けるまで続いていた。従つて右売渡通知書交付の日から一〇箇年を経過した同三四年一二月一二日には取得時効が完成しており田中作太郎は第一土地の所有権を取得している。第三者参加人は右のとおりその後右訴外人からこれを買い受けて、その所有権移転登記を了しており、本訴において取得時効を援用する。

同原告が同三三年三月一日田中作太郎に対してその主張どおりの訴えを提起し、係属中であることは認める。

三、(本案)

本件買収計画は次のとおり適法なものである。

1イ 第一土地は農地である。

第一土地は買収当時には耕作の用に供されていなかつたが、同二三年度までは大阪鉄道局天王寺管理部の食糧増産部において耕作していて、買収後は今林町居住の者が耕作しており、しかも四粁も続く広い農地の一角に存在する明白な農地である。買収当時は原告大念仏寺が耕作の目的に供していなかつたものに過ぎない。

ロ 被告は、第一土地が農地であるのにかかわらず所有権にもとづき耕作することのできる原告大念仏寺が現にこれを耕作の目的に供していなかつたから、自創法三条五項五号(同二四年法律二一五号による改正以前のもの)によつて買収したものである。同原告主張のように同条四項に基づくものではなく、小作地であることを要件としない買収である。

2、仮に第一土地が住宅街にあつたとしても当然には買収から除外されるものではなく、自創法五条五号の行政庁の指定があつた場合に始めて買収より除外されるものであるが、第一土地についてはこのような指定がないから買収より除外することはできない。自創法五条五号に基づく買収除外の指定をなさなかつたこと自体を違法として争うことは許されないと考える。

3、買収目的地は特定している。

第一土地が仮換地中であること、被告が旧地番および旧地積を表示して買収処分をしたことは認めるが、土地区画整理における仮換地は旧地番表示の土地に相応する権利行使の場所を仮に定めたものであつて、旧地番はそれ自体でこの土地の所有権を表示するもので明らかに特定するものである。

また本件買収においては、仮換地の地番をも附記しているから旧地番に相応する仮換地の土地も分明であつて明らかに特定している。

(第二土地関係)

一、請求の原因二、1、の事実は裁決書送達の日時の点を除いて認める。裁決書は同二四年五月二六日に送達した。同2、の事実のうち第二土地が守口市東光園耕地整理組合地区内にあること、原告亡平岡栄吉訴訟承継人主張のとおり換地がなされており本換地の地番地目地積によつて買収計画を定めたことは認める。

二、第二土地の買収計画は、次のとおり適法なものである。

1、小作農地である。

第二土地は田として耕作の目的に供されており、広々とした田地の一角に存在し、これを訴外松本喜一が同一八年以来小作人として耕作し、平岡栄吉(不在地主)の代理人中村栄一に対して同二三年度分までの年貢を支払つている。

2、(五条五号について)

答弁三、(二)に記載したところと同一であるからここに引用する。

第四、証拠〈省略〉

理由

第一、(第一土地について)

一、請求の原因一の1、の事実は買収令書交付の日時を除いて当事者間に争いがない。

本件買収処分の時期が同二四年七月二日であつたことは当事者間に争いがなく右争いのない事実と弁論の全趣旨を合わせ考えると、買収令書交付の日時は同年八月一〇日頃であつたものと認められる。

二、訴えの利益の有無について、

1、原告大念仏寺の本件訴えは、同二四年六月二八日に、大阪市東住吉区農地委員会を被告として、異議棄却決定と買収計画の取消しを求めて提起せられたが、その後買収令書の交付があつて、同三七年九月一四日に被告を大阪府知事に変更するとともに、請求の趣旨を買収処分の取消しに変更したものであることは、記録上あきらかである。

2、自創法一六条による売渡しを受けた田中作太郎が同二四年七月二日に、所有の意思を以て平穏公然かつ善意無過失に第一土地の占有を始め、この占有はこれを第三者参加人に売り渡した同三七年一月一九日まで続いたとの被告の主張事実は、原告大念仏寺において明らかに争わないから自白したものとみなされる。田中作太郎の取得時効は同三四年一二月一二日に完成したと主張し、第三者参加人は本訴において時効を援用した。

原告大念仏寺が、田中作太郎を被告として、同三三年三月一日に、所有権にもとづき第一土地についての売渡処分を原因とする同人名義の所有権移転登記の抹消登記手続等請求の訴えを提起し、右訴訟は係属中であるとの同原告主張の事実は、当事者間に争いがない。同原告は本件買収処分は当然無効であり、これによつて同原告の第一土地に対する所有権は失われていなく右訴訟によつて田中作太郎の取得時効は中断せられていると主張する。

3、およそ、行政処分の無効を主張する者は、その処分に重大かつ明白なかしのあることを具体的事実にもとづいて主張立証することを要するのに(最高34、9、22判決、民集一三巻一四二六頁参照)本件買収処分に明白なかしがあつたことについては具体的事実にもとづく主張立証がないから、これを当然無効とすることができない。

しかるに、本件買収処分後に同原告が、再び第一土地の所有権を取得していたことについては、何らの主張立証もない。しからば、同原告は本件買収処分により第一土地の所有権を失い、その後これが所有権を有したことがなかつたわけである。

ところで、時効の制度は永続した一定の事実状態を尊重して、これを以て権利関係と認めるものであるから、その基礎たる事実状態の継続が破られるときは、時効が中断して期間の経過に拘らず、この事実状態を権利関係とはなしえないわけである。このような性質から中断事由に関する民法一四七条以下の規定は制限的列挙とは解されないが、権利者でない者の権利主張や、義務者でない者による権利の承認というような事実があつても、事実状態の継続は破られることがなく、時効の中断を生じないことは明白である。

すなわち、真実の権利者の権利主張かまたは義務者による真実の権利の承認とみられるような事実のみが時効中断の事由たりうるのである。

同原告は、前記のとおり本件買収処分後は第一土地の所有者でなかつたのであるから、これが所有権を主張して取得時効を中断するに由なく、前記訴訟も所有権を有しない同原告によるものであつて、田中作太郎の取得時効を中断するものではない。同原告の時効中断の主張は採用できない。

4、同原告は、本件買収処分取消請求の本訴を提起しているが、これも時効中断の事由とはなりえない。買収処分取消訴訟の究極の目的が、所有権の回復にあることは疑いの余地がない。

しかし、右訴訟は処分庁を相手方とし、当該処分の違法なることを主張して、これが取消しを求めることを直接の目的とするものであつて、占有者(売渡しを受けた者またはこれからの承継人ではなく、買収売渡処分と何らの関係のない占有者も存在する。)を相手方として、所有権を主張し、またはこれが行使として義務の履行を求めるものではない。従つて右訴訟の提起を以て裁判上の請求ないし催告として、時効中断の事由とすることができない(大審、大正5、2、8判決、民録二二輯三八七頁参照)。

結局、違法な買収処分によつて目的物の所有権を失つた者は、右処分の取消しがない限り、その占有者の取得時効を中断する手段がないわけである。

5、違法な買収処分を受けた者は取消訴訟による勝訴判決の確定により、処分時にさかのぼつて失つた権利を回復することができる。違法な買収処分によつて所有権を失つた者にとつては、取消訴訟が唯一にして最善の権利救済手段である。

しかるに、買収処分取消訴訟を提起している(従つて権利の上に眠つているわけではない)にも拘らず、この訴訟がかならずしも原告の責にのみ帰することのできない事由によつて遅延し、その間に目的物の所有権が占有者によつて時効取得せられるというような結果を認めることは如何にも不合理である。被買収者には、目的物の取得時効を中断する手段がないのに、取消訴訟の判決前に目的物が占有者に時効取得されることが是認せられるものとすれば、違法な買収処分をした行政庁は、取消訴訟を遅延せしめることによつて、所期の目的を達することができるという不都合な結果を招くことにもなるのである。

ところで、時効期間の満了に当つて故障が存在し、中断行為をすることが著しく困難な場合につき、事項停止の制度を設けて、民法一五八条以下に故障事由に応じた一定の期間だけ時効の完成を猶予することが規定せられている。右各規定は制限的なものとみるべき合理的な根拠がないから、類似の事由ある場合につき類推適用せらるべきものと解される。すなわち、違法な買収処分により目的物の所有権を失つた者はこれが取消判決の確定により処分時にさかのぼつて所有権を回復するのであるが、目的物占有者の取得時効期間の満了に当つて、取消訴訟がなお係属中であるときは買収処分による故障が存在して、所有権の主張たる取得時効の中断行為をすることが不可能であるから、これに最も近い故障の場合の民法一六〇条を類推適用して、右事件の取消判決の確定により右買収処分の効力が失わしめられた後六箇月の間は、取得時効の完成が猶予せられるものと解すべきである。

6、しからば、本件訴訟に同原告が勝訴して、本件買収処分取消しの判決が確定するときは、田中作太郎の取得時効期間の満了如何に拘らず、同原告において第一土地の所有権を処分当時にさかのぼつて回復するものであつてその後六箇月内に時効中断の行為をすることによつて、占有者の取得時効の完成を妨げることもできる筋合である。同原告が、本件訴えの利益を有することは、明白である。

三、そこで第一土地は農地でないとの同原告の主張について判断する。

1、第一土地が大阪市平野土地区画整理組合の地区内にあり、同原告主張のとおり仮換地が指定されていたことは当事者間に争いがない。

そして成立に争いのない甲第一号証、同二号証の一、二、被告主張のとおりの写真であることにつき争いのない検乙一号証の一、二、家屋建築状況については右検乙一号証の一と二によりほぼ被告主張どおりと認められ、その余の点については被告主張のとおりの図面であることにつき争いのない検乙二号証、証人浅井秀吉、同安岡良戒、同石田三郎、同加賀末一、同西田伝次郎(一、二回)の各証言ならびに第一土地の仮換地とその周辺の検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、別紙「第一土地と周囲の状況」記載のとおりの事実が認められる。

2、右認定の事実によると、第一土地は附近一帯の土地とともに、(イ)宅地としての利用を増進するため、大阪市平野土地区画整理組合が大阪府知事の設立認可を得て、国の公権力の作用として土地区画整理事業をすすめ、(ロ)法律上当然にその組合員とされた同原告その他の地主において、五年間の小作料免除またはこれにかわる補償金を支払つて小作関係を消滅させ、その離作返還を受け、(ハ)組合員たる地主の経済的負担のもとに、昭和一九年頃までに計画どおり区画整理の事業を完了して、面積を坪単位で表示した仮換地の指定がなされ、(ニ)この結果宅地としての利用に適するように区画および道路の整備された土地となつたのである。これに前認定の諸事情を総合すると、第一土地の仮換地は、工事完了地域内にある附近の仮換地とともに、区画整理工事の完了により、従前の耕作の目的に供される土地すなわち農地としての形態と性格を失い、住宅その他の建物の敷地に供すべき土地に転化するに至つたものと認めるのが相当である。

3、被告は第一土地の仮換地が、同二三年度までは耕作されており、買収計画当時には耕作されていなかつたが農地であつたと主張する。しかし自創法三条五項五号(同二四年法律二一五号による改正以前のもの)により買収の対象となるのは、同法二条に定める農地、すなわち耕作の目的に供される土地である。ところで、宅地化のための土地区画整理工事の完了した土地は、買収計画の前に耕作されていた事実があつても、これだけで直ちにこれを農地ということはできない(最高32、10、8判決、民集一一巻一七二六頁参照)。

証人安岡良戒の証言によると「原告大念仏寺は元の小作人から明渡しを受けた第一土地の仮換地を、区画整理工事完了後荒地の状態にしておいた。右土地は国鉄百済駅の用地に近かつたので国鉄から戦時下に譲渡の申込みがあつたが、壇家総代の同意が必要であたので回答を留保していたところ、国鉄の営繕係長(いずれの部課であつたかはあきらかでない。大阪鉄道局天王寺管理部の食糧増産部において同二三年度まで第一土地の仮換地を耕作していたと被告が主張しているところによりすると同管理部の営繕係長と考えられる。)土居喜一が耕作のために貸与せられたい旨の申込みをしてきた。同原告は国鉄に譲渡するかも知れなかつたので、その旨を説明して貸与することはできないから勝手に作つて欲しいと答えて同人の耕作を黙認し、同人はその後二箇年位の間甘藷を植えて、収穫物の一部をお供えとして同原告寺に持参していたが、その後耕作をやめた。」事実を認めることができ、右認定に反する証拠がない。

右土地は、買収当時に同原告の占有下にあつてしかも耕作はなされていなかつたことは当事者間に争いがない。このことに前認定の諸事実を総合すると、右耕作は宅地としての利用に供されるまでの一時的な休閑地利用というべく、これをもつて第一土地ないしその仮換地が宅地としての性格を失い、再び耕作の目的に供される土地に転化したものとすることができない。結局、同原告は耕作の目的に供されない第一土地を、本件買収計画当時現に耕作の目的に供していなかつたものであつた。他にこれをくつがえし、仮換地が買収計画ないし買収処分当時すでに再び農地化していたものと認めるに足りる証拠はない。

四、本件買収計画ないし買収処分当時に第一土地が農地でなかつたとする同原告の主張は理由があり、本件買収処分には、第一土地の仮換地が農地でないのに農地であると誤認して第一土地を買収することとした違法がある。それゆえ右第一土地の本件買収処分はその余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において違法として取消しを免れない。

第二、(第二土地について)

一、請求の原因二、1、の事実は裁決書送達の日時を除いて当事者間に争いがない。弁論の全趣旨によると、平岡栄吉に訴願棄却の裁決書が送達されたのは同二四年五月二八日であつたことが認められ右認定に反する証拠はない。

二、そこで同原告訴訟承継人主張の違法原因について判断する。

1、第二土地は買収計画当時小作農地であつた。

第二土地が守口市東光園耕地整理組合の地区内にありすでに本換地がなされており、本換地の地番地目地積によつて買収計画が定められたことは、当事者間に争いがない。

第二土地の検証の結果(一、二回)および証人松本喜一、同中村栄一、同田中弥次郎、同中村仁三郎(後記措信しない部分を除く)の各証言を総合すると、次の事実が認められる。

第二土地は、もと田中弥次郎の所有であつて、同人の分家である田中亀松に耕作させていたが年貢などのとりきめは別に定めていなかつた。

中村栄一は第二土地の所在する東光園に七、八町歩の土地を所有していて中村仁三郎を介して東光園の土地を多くの人に売り渡したが、そのうち約四反を同十四、五年頃平岡栄吉に売り渡すにあたり、第二土地が一区画の土地の一部分を占めていたので一旦田中弥次郎から第二土地を買い受けて、一括して仁三郎を介して平岡栄吉に売り渡した。

中村栄一は、仁三郎から、土地の買受人たちが多くの小作人たちの所に年貢を取りに行くのは面倒で計算もしにくいので従来どおり中村栄一方で年貢を受け取つて欲しいと頼まれて、売り渡した土地について小作人たちから現金で年貢を受け取り、これを仁三郎に渡し、仁三郎は土地の買受人である平岡栄吉その他の者に渡していた。このように仁三郎は平岡栄吉ら買受人の委任を受けて年貢を受領するなど管理の仕事もしていた。

松本喜一は、中村栄一の土地の小作人であつたが、第二土地が平岡栄吉の所有となつた後に、同一八年頃からこれを耕作し、年貢は他の土地の分と一括して同二三年度分まで松本喜一が中村栄一に持参し、中村栄一が平岡栄吉の代理人仁三郎に渡していた。同人は大阪市に居住する所謂不在地主であつた。

第二土地は最初北河内郡三郷村大枝耕地整理組合地区内の土地であつたが、同組合は、東光園耕地整理組合に変つた。右大枝耕地整理組合は、同八年に設立され、第二土地の耕地整理による本換地は同一三年一二月中には完了していた。同組合は、地区内の土地が将来宅地に発展することを期待して発足したが、同二五年一二月六日の第一回検証当時第二土地はなお広々とした田地の中央部に存在し、稲刈後そのまま放置してある湿潤な田であつて、南部および北部はいずれも六〇〇米前後はなれた部落まで、東部は約二〇〇米はなれた朝日精工株式会社まで、西部は約三〇〇米さきの民家まで、建物はなかつた。同三三年一〇月二七日の第二回検証の際にも、第二土地は、周辺を稲田に囲まれ、西側は野道に接して流れている幅員約一米の溝に接し、北側は畦道に接して流れている幅員右同様の溝に接し、東側と南側は境界となるようなものはなく一面に生育した稲田に続いている稲田であり、北方には約五五米はなれた道路の北に建築後間もない人家や新築中の建物があり、東方には約一〇〇米はなれたところに新築直後の社宅があり、北方には約一九〇米続く田をへだてて小学校があり、西方には約三〇〇米続く田をへだてて住宅および工場があるに過ぎず、依然として農地であつた。

以上の事実が認められる。右認定に反する証人中村仁三郎の該当供述部分は、前掲証拠に照らして措信できない。証人中村栄一の証言中小作人から年貢を受け取つて仁三郎に渡していたのが終戦頃までだという部分は、終戦頃というのであるから同二三年度分までだとする前認定に反するものとは言えない。

2、前認定の事実によると、第二土地が買収計画当時、近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であつたとは到底考えられない。

3、そうすると守口市農地委が第二土地について自創法三条一項一号にもとづいて買収計画を定めたのは適法であつて、右買収計画の取消しを求める原告亡平岡栄吉訴訟承継人の請求は理由がない。

第三、よつて、原告大念仏寺の請求は理由があるからこれを認容し、原告亡平岡栄吉訴訟承継人の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条、九四条後段を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 前田覚郎 平田浩 木村輝武)

(別紙)

原告大念仏寺主張の違法原因

(一) 第一土地(以下本件土地という)は、農地でも小作地でもない。

本件土地は、自創法五条四号にも定められている、都市計画法一二条一項の規定による土地区画整理を施行する大阪市平野土地区画整理組合の地区内にある。右組合は、大阪市都市計画の区域内にある同市東住吉区平野地区を中心とする百十数万坪の土地を対象として、昭和四年九月二八日に設立せられ、翌五年一二月一一日大阪府知事の認可をえて、大阪市ならびに大阪府の指導監督のもとに事業をすすめてきた。まず、地区内の耕作関係解消のため小作人らとの間に数十回にわたる交渉を重ね、昭和八年九月頃からその妥結をみて順次土地の返還を受け、昭和一二年一一月末には全地域の小作地につき小作関係の解消をみ、その返還を受け終つていた。このため地主は昭和七年一二月一日から昭和一二年一一月末日までの五年分の小作料を免除することにし、工事施行の都合上同日より以前に明渡しを必要としたときは一年につき反当り二〇円の割合による補償金の支払いをしたのである。工事には昭和一〇年四月から順次着手し、昭和一六年末までに、地区内を東西に貫通する幅員三〇米の国道(尼崎・平野線)、東西あるいは南北に貫通する幅員二五米の都市計画道路四本を中心に、最少幅員六米のものに至るまで無数の道路が新設せられた。地区内の土地は、いずれもこれらの道路に面し、宅地としての利用に適するよう整然とした区画に設計施工せられた。

地区内を流れる今川、鳴戸川、平野川の三河川についても、しゆんせつ、幅員の拡張、堤とうの修築、その他の護岸工事を施し、二八箇所に木橋を新設した。五箇所合計三五、六五九坪の公園と七二三坪の国鉄関西本線平野駅北口広場等の公共施設も設けた。下水溝の設置、土管の埋設等の下水処理工事も行い、ガス管、水道管等も埋設せられた。昭和一二年から昭和一五年末頃までの間に換地予定地(仮換地)の指定も終り、本件買収当時には、地区周辺部の約六一、〇〇〇坪を残し、地区内の面積の九四・七四パーセント強を占める地域は、すでに区画整理のための工事を完了していた。組合が道路、公園等の公共施設に提供した面積は約三七一、〇〇〇坪にのぼり、このほか組合員は替費地六〇、八一三坪、賦課金二三六、三六〇円八八銭を負担しており、買収当時までに組合が投じた費用は二、二九二、三三一円九六銭に達している。

このようにして、以前は大阪市内でも有数の低湿地帯で降雨のたびに浸水し、一望の沼沢地となるのが常であつた右地区は、四通八達の道路網を中軸に、交通機関も完備し、宅地としての諸条件をそなえた理想的住宅地帯に一変するに至つたのである。戦争による工事の中断さえなければ、昭和二十二、三年頃までには全地域の事業を完了して本換地処分を終つていたであろうことは明らかであり、工場、学校、住宅等が続々と建設せられていたことは容易に推測できるところである。終戦前後の食糧難から、地区内の土地に、一時的にそ菜等を栽培し、ときには組合が建設した道路さえ耕作した者があらわれたが、これは暫定的な社会現象で、土地本来の用法にもとづいたものではない。しかもこれらの耕作者は、なんら法律上の権原をもたずに土地を使用していた不法占拠者であり、賃貸借はもちろん、使用貸借またはこれに類する耕作関係は存在していなかつた。

以上のとおり、本件土地は、所有者である原告の欲すると欲しないとにかかわらず、国の強権力をもつて組合地区に編入し、組合員の多大の犠牲において宅地に適合するよう事業を施行してきた土地であつて、交通、保健、衛生や経済上の観点からみて宅地とみるべき土地である。かりに耕作者がいたとしても、戦争のための一時的不法占拠によるものであるから、このために宅地が農地に転化するものではない。もとより小作地とはいえない。

(二) 自創法五条五号による買収除外指定をすべきである。

本件土地とその周囲一帯の状況はさきに主張したとおりであり、大阪市の都心部にも近く、その周囲は住宅街に接続している。そして、この地域は、すでに住宅地としての性格と要件をそなえていたばかりでなく、大阪市東南部における唯一の将来性ある住宅予定地として、同市の市民住宅政策、工場政策を遂行し、交通、文化等の諸般の社会公共施設を設置していくために欠くことのできない最も重要な地帯であつた。現に東住吉区では、住宅、工場、学校等があいついで建設せられ、驚異的発展をとげている。このような土地は、農地よりも宅地として利用する方が国家社会にとつてはるかに価値がある。自作農を創設してみても、耕作を永く継続していくことは、その環境からみて不可能といえる。農地の売渡しを受けた者が、農耕を廃して、機会あるごとに住宅公団、工場等の敷地に転売し、不当な利益をえていることは顕著な事実であり、一般社会の批判の対象ともなつている。このことは、大阪市のような大都市内の土地について、大都市の特殊性を無視し、大所より検討することなく、無差別に買収計画を定めた当然の帰結である。以上の諸事情を総合して考察すると、いかに農民の側に立つてみても、本件土地に自作農を創設することは不合理かつ非常識である。従つて、本件土地は同法条による買収除外指定をすべき土地である。

(三) 買収目的地が特定されていない。

本件土地は、前記のとおり仮換地の指定がなされており、仮換地は従前の土地とくらべて、位置、面積に大変動を生じている。また、従前の土地の一部は道路敷、下水道敷等になり、あるいは第三者所有の土地の仮換地に指定されている。このような場合は、本件買収計画のように土地台帳上の地番、面積によつて買収目的地を表示しただけでは、従前の土地と仮換地のいずれを買収の対象とするのか明らかでない。

第一土地(以下本件土地という)と周囲の状況

(1) 大阪市平野土地区画整理組合は、本件土地を含め大阪市東住吉区平野地区を中心とする百十数万坪の土地を対象として、その宅地としての利用の増進をはかる目的で、昭和五年一二月一一日に大阪府知事の設立認可をえて成立した、都市計画法一二条一項の規定にもとづく土地区画整理組合である。

その当時、地区内の土地は、大部分が低湿地帯で、わずかの降雨にも浸水するところが多く、二毛作の可能な一部の例外を除いて、古くから一毛作の水田として利用されてきていた。

組合は、土地区画整理のための工事を実施するに先きだち、まず地区内の小作関係を解消することにし、地主側と小作人側との間でそのための話し合いをすすめて、昭和九年までに地区内の小作地のほとんどすべてについて離作契約が成立していた。その契約内容は、ほぼ、明渡期限を昭和一二年一一月三〇日とする、これに先きだつ五年分の小作料を免除し、工事の都合で右明渡期限前に明け渡すべき場合は、明渡期限に至るまでの期間、一年に達するまでごとに反当り二〇円の割合による補償金を支払う、という趣旨のものである。この契約にもとづいて、昭和九年一月六日頃から順次小作地の離作返還が行われ、返還された地域から次次と区画整理の工事がすすめられた。明渡期限の昭和一二年一一月三〇日には地区内の大部分の小作地の離作返還を受け終り、昭和一九年戦争のためにやむなく工事が中断されるに至るまでの間に、地区の北東、南東および南西の周辺部にあるごく一部、面積にして地区内の土地の約五パーセントにあたる部分を除いて、他のすべての土地について計画どおりの土地区画整理工事を完了し、坪単位で面積を表示した仮換地の指定をすませていた。

(2) この工事の結果、従来から地区内の北部を国鉄関西本線の南側に沿つて、北西から南東に通じていた幅員一八米余り(一〇間)の奈良街道(現在の国道二五号線)を幅員三〇米に拡張したほか、大阪都市計画街路の計画に従つて設計せられた東西あるいは南北に通ずる幅員三三米ないし二五米の道路五本が新設せられ、これらの道路を中心として幅員一五米ないし六米の道路が、東西あるいは南北に、数十米から百数十米の間隔をおいて整然と設けられた。これらの道路は、木製の境界杭で、これに面する仮換地との境界を明らかにしたうえ、境界線にそつて道路の両側に素掘りの溝を設け、路面も少くとも旧来のあぜや耕作のあとが残らない程度に地ならしをして、道路として車馬の通行ができる状態におかれた。もつとも、右五本の都市計画に従つた道路は、その両側の幅数米の部分が道路とされたのみで中央の部分は仮換地として指定せられたが、それは地主の負担を少しでも軽減するため、将来都市計画道路の施行者となる大阪市あるいは大阪府によつて仮換地指定部分が買収されることを期待したためである。地区の西端を流れる今川と鳴戸川、北部を流れる平野川(城東運河)の三河川には、これらの道路に適合するように二十数本の木橋がかけられた。

排水の面でも、側溝のほか、必要に応じて幅数尺の排水溝を設け、道路と交さする箇所には下水管を埋設して、前記三河川に注ぐように工事が行われたが、その際に農耕のための水利が考慮された形跡はない。

かつては農業に適するような区画が多く、しかもその区画がかなり不整であつた地区内の土地は、前記工事未了の約五パーセントの部分を除いて、その仮換地として、すべてこれらの道路に面し建物敷地として適切な面積と形をそなえ、排水の点でも著しく改善せられた土地が指定せられたのである。

地区の中央部にある約一万坪の白さぎ公園をはじめ、合計六箇所、約三五、〇〇〇坪の公園敷地が造成せられ、国鉄関西本線の平野駅前には数百坪の広場用地が確保せられた。前記道路やこれらの公園、広場等の公共用地あるいは工事費等にあてるための替費地として、地主は従来の所有面積の二五ないし三〇パーセントにあたる土地を提供した。地主はこのほかにも組合の諸経費にあてるため所有地一坪につき二〇銭ないし二五銭の賦課金を負担している。

(3) もつとも、右工事完了区域も、戦時下のため、直ちに建物が築造されたところはほとんどなく、雑草の繁茂するままに委ねられていた。前記各道路も、交通量が極めて少いため、中央部に幅一米前後の踏みあとを残すのみで、他は雑草の生えるままに放置れているところが多かつた。食糧の不足がつのるに従い、いわゆる休閑地利用の要請が高まつて、地区内の仮換地は、次第に附近の学校の農業実習用地として耕作せられ、あるいは近くに住む農家、非農家が地主の承諾を受け、または受けないで耕作をするようになつた。本件買収計画当時には、仮換地の大部分は耕作の対象とされ、これに接する道路の一部をとり込んで耕作しているところもかなりみられたが、組合が道路の耕作を承諾した事実はなかつた。

これらの耕作された部分も、ごく一部の例外を除いて、あぜやうねは仮換地の形状にそうように設置されていて、従来の土地の形跡は全くとどめられていない。水利の関係から、水田を畑にかえ、あるいはポンプで揚水しなければ耕作できなくなつた地域もかなりあつた。

組合は昭和一九年以後も工事を中止しただけで、存続し、現在も土地区画整理法による組合としてその事業を継続している。

(4) 本件買収計画当時、組合地区の西側には、前記今川をへだてて、大阪市の市街地に連らなる人家が建てつまつており、地区の東側は古くからあつたかなり広大な平野本郷の集団住宅地に接していた。地区内にも古くからの今林町、杭全町、今川町の三部落があつたほか、地区の中央部北寄りにある西平野土地区画整理組合地区には人家がほぼ建てつまつていた(もつともこれらの集団住宅地は平野土地区画整理組合の施行地区から除外されている)。

組合地区の北部には前記国鉄関西本線が通じ、地区の東はずれのところに平野駅があつた。地区内の南寄りには、南海電鉄平野線が東西に走り、地区の東はずれに平野駅(終点)、中央部東寄りに西平野駅、地区の西端から約一五〇米西に中野駅があつた。(これらの路線および駅の敷地も組合地区から除外されている。)また、地区の西端から三〇〇ないし五〇〇米西側には近鉄南大阪線が南北に通じており、北田辺、今川、針中野等の駅があつた。地区内の土地は、最も不便なところでも、これらの駅のいずれかから、一二〇〇米以内のところにある。

(なお、以上の駅の所在等は検乙一号証の一に公知の事実を総合して認定した。)

(5) 本件土地は、右工事完了地域内にあたり、その仮換地と附近の状況は別紙図面記載のとおりである。

以上

(別紙証拠関係一覧表、物件表および図面省略)

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